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株式会社成基総研 中西寿英さん

■中西寿英さん

 高校から7年間弓道部で全国大会を目指し、佛教大学へスポーツ推薦で入学する。2001年成基株式会社に入社し、ゴールフリーの教室長、エリア塾長を務める。その後、女性向けのコミュニティカフェを経営。さらに人材派遣会社へ転職し、営業とスタッフコーディネーターを兼務する。3年前に株式会社成基総研に復職し、現在は新卒の採用と育成を務め、成基の企業説明会をも担当する。



中学校の恩師の影響で教育の道へ


最初はどうして教育業界に入ろうと思われたんですか?






 元々中学校教師になりたいと思っていました。中学の先生からすごく

影響を受けて、その先生のおかげで今の自分の性格が創られたのではないか、と思う程です。まさに恩師です。その先生に憧れていたのと、当時、人に影響を与える仕事をしたいなと思っていたことが理由ですね。中学生は思春期であり反抗期でもあり多感で難しい時期ですが、その分、私がその時期に受けた影響は大きかったので中学校教師を目指していました。

 ですが、2002年が教育改革の年、いわゆる「ゆとり教育」が施行された年で、教育改革後、私が本当にやりたい教育が現場で出来るかわからないなと感じたんです。なので、

改革が行われてからでも学校現場に自分のやりたい教育があるなら、その時教員採用試験を

受けようと思い、教員免許は取得していたのですが新卒で採用試験は受けませんでした。

ただ、学校の現場の情報が入ってこなければ判断のしようがないので、塾業界で働くことにしたという感じですね。


なぜ塾業界の中で成基を志望されたんですか?






 小学生の時に通っていた、当時の成基学園の先生がマジックのように私のやる気を引き出してくださったんです。それまで中学受験が嫌で全く

勉強出来ていなかったのですが、その先生のおかげで算数が大好きになりました。

 そんな経験もあり様々な塾業界を調べましたが、進学塾であり人間塾であるという成基のコンセプトに惹かれて面接を受けました。しかし、大学まで部活に専念していたので、当時採用試験の一環で行われていた学科テストではあまり点数を取れませんでした。入社後、人事担当の方から私の人間性で採用を決めてくださったということを聞き、やはり成基は人間塾なのだと感じましたね。



 

自身の志と二度の転職


 2回転職して、カフェの経営や人材系会社での営業活動も経験されたんですよね。どうして転職されたんですか?





 カフェに転職するまで、最初はゴールフリーに配属になって教室長を

務め、2つの教室の兼務教室長も経験し、その後、ゴールフリーの複数の教室を統括するエリア長を6年務めていました。私自身の志にもあるのですが、私の教育観の中で「早く大人になりたいな」「あんな大人になりたいな」と思う子どもたちを増やすということを大事にしています。だからそう思った時に、やっぱり大人がキラキラして、やりがいと責任を持って仕事に取り組み、自分らしく生きていける社会を作っておくことで、子どもたちに夢を持ってもらえるのではないかな、と思ったんです。

 そういった観点から見ると、女性は母親になる性で子供たちへの影響が大きいです。男女の差を感じてるわけではなく、単純に母親と1番長くいる人が多いので。そのようなことから仕事しながらも女性の支援をしたいなという思いがあったんです。ゴールフリーで働き、子供たちと触れ合えたからこそ、そういう気持ちになったんだと思いますが。

 そこで、自分の中でもっと何か出来ないかなと思って、コミュニティカフェみたいな形で来て下さる女性の方の得意なことと、それを求めている人を結びつけるようなことをしたいなと思ってカフェを始めました。


ということは女性向けのカフェだったんですね。






 はい、コンセプトは女性向けです。そのカフェの中で色々なセミナーや講座を開きました。例えばネイル講座、カラー診断、お料理教室などですね。お客さんとコミュニケーションを取っていく中で、そういったことに挑戦したいと思っている人と、それを求めている人を実際に繋げるような役目を果たしたいなと思って始めたのがコミュニティカフェという感じですね。


 では、その次の人材系の会社にはどのようなきっかけで入社されたん

ですか?





 ここは現実的な話ですが、個人事業主にはいわゆる産休育休がないん

ですよね。この時、結婚することになり、子どもも欲しいなと思っていたのですが、それまでカフェを自分1人で経営していたので誰かを雇って

給料が発生して、という経営を考えると少し厳しいかなって思ったんです。なので、もう一度会社に入ろうかなと考え、人生は一度きりなので、「せっかくならこのチャンスに一度転職活動を経験しよう」と考え、転職活動を始めました。そうしたらそこで、人材派遣の会社の方と出会って、販売職をメインにしているチームが募集をかけておられたんです。いわゆる百貨店とかの販売業のイメージです。しかもターゲットは女性であり、女性の時間を使って社会に貢献していく仕事を見つけようとしている人に携われるというのは、自分の志にも繋がるなと思ったので、そこに応募してみることにしました。

そうしたら採用になったのでそこで営業と コーディネーターというスタッフを抱える仕事を兼務してました。


すごいですね。たくさん挑戦されたんですね。憧れます。






 ありがとうございます。どれも面白かったですね。今でも、カフェに

来て下さってたお客様と繋がって、食事に行ったりもしています。営業の仕事も、同僚や自分が抱えていた担当スタッフが今でも働いているので、ショップに行った時は「最近どうですか?」という話も出来て、すごく

悦ばしいですね。


 どの仕事も充実されていたんですね。今もう一度成基総研に戻っ

て来られた理由は何ですか?





 材業界のクライアントは企業なので、企業とやり取りをして企業から

お金をいただくというのは今までに無い経験で、新しくて面白かったですね。

 そこで、色々な社会の女性たちをスタッフとして抱えて接してると、

どうしても納得がいかないことがあったんです。派遣という形だったので、責任は普通の正社員よりかは軽い部分もあります。中には、正社員ほどの責任を持ちたくないから派遣を選んでいる人たちもいました。そこで私は周囲の人の仕事に対する無責任さをすごく感じました。例えば、急に仕事に来なくなるとかいう人もいましたね。こちらから連絡をとると「仕事行きたくないんです。」とか「夫がもう辞めろって言うので辞めます。」とか、40代50代の女性とかでも、そういうことを言うわけですよ。まだ未成年とかだったら許せる時もありますが、40、50とかになって夫や親のせいにして自分が仕事に行かないって言ってくることに対して、すごく違和感を感じましたね。そんな世の中だったらいけないなと思っています。

 ですが、もしかしてこれはその人が受けてきた教育なのではないかなと思って。その時にやっぱり教育だなと思いました。もう一度教育業界に戻ろうと考えて、成基に頼んで戻してもらったという感じです(笑)


 様々な仕事を経験されたということですが、学生時代までに積んだ経験が社会で活きたなと感じることはありますか?逆にこれをもっとやって

おけばよかったなとか。



 あまり意識したことはないですが、役立つことはたくさんありますね。大事なことは「とことん一生懸命やること」だと思っています。没頭するような経験はしておくと良いかなと思います。「がむしゃら」という言葉もありますが、あれって「がむしゃら」にやろうと思ってやるわけでは

なく、結果的に、あの頃がむしゃらにやってたなと思えるものだと思っています。どれだけそこに熱い想いをもってとことんやれるか、ですね。その経験があれば何に対してもとことんやれる自分に成長します。取り組む内容は何でも良いと思っています。これをやっておかなければいけないと思うことは特にはないですね。私は弓道をトータル7年間本気でやっていました。弓道で培った集中力は大きいと感じています。